今年初めてのブログ
住宅依頼先での設計事務所とメーカーとの違いはあるか無いか?
このような命題に付いて住宅を作りたいと考えていらっしゃる皆さんは、どの程度理解されているのでしょうか?
この問題は我々設計事務所運営している者にとっては常に考えてゆかねばならない問題です。
少しでも多くの方に設計事務所なるものを理解していただき発注を増やしてゆきたいものです。
今年はと言っても既に2月になってしまいました。でも今年はこの点に関して少し言及して往こうと思っています。
少しずつ書いてゆきます。
このような命題に付いて住宅を作りたいと考えていらっしゃる皆さんは、どの程度理解されているのでしょうか?
この問題は我々設計事務所運営している者にとっては常に考えてゆかねばならない問題です。
少しでも多くの方に設計事務所なるものを理解していただき発注を増やしてゆきたいものです。
今年はと言っても既に2月になってしまいました。でも今年はこの点に関して少し言及して往こうと思っています。
少しずつ書いてゆきます。
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初秋の夏休み その4
初秋の夏休み その4
草津からの帰り道に立ち寄ったのが海野宿で北国街道の宿場町です。
1600年初頭に街道として整備されたようです。

武田の家臣であった海野氏・真田氏の発祥の地です。
又、古くは木曽義仲挙兵の地であるようです。

ウダツの立派な旅籠、気抜きは建物の空気抜きとしての役割と、建物を立派に見せる役割を果たしているようです。

ウダツの説明板

街道の通路脇には柳の木と生活の用水路が流れています。

海野宿の案内板。

建物の柱の下部が腐ると匠な技で接ぎ木をしています。
古い物を大切にする技です。

やっとイチバン最初に出した朝顔の写真と比べる物がありました。
我が家の朝顔は少々物足りませんがさ、すがこちらは上手に育ていました。

海野宿の礎石です。

木曽義仲の挙兵の地であることを示す看板。

木曽義仲
この後さらに諏訪大社に寄ります。
草津からの帰り道に立ち寄ったのが海野宿で北国街道の宿場町です。
1600年初頭に街道として整備されたようです。

武田の家臣であった海野氏・真田氏の発祥の地です。
又、古くは木曽義仲挙兵の地であるようです。

ウダツの立派な旅籠、気抜きは建物の空気抜きとしての役割と、建物を立派に見せる役割を果たしているようです。

ウダツの説明板

街道の通路脇には柳の木と生活の用水路が流れています。

海野宿の案内板。

建物の柱の下部が腐ると匠な技で接ぎ木をしています。
古い物を大切にする技です。

やっとイチバン最初に出した朝顔の写真と比べる物がありました。
我が家の朝顔は少々物足りませんがさ、すがこちらは上手に育ていました。

海野宿の礎石です。

木曽義仲の挙兵の地であることを示す看板。

木曽義仲
この後さらに諏訪大社に寄ります。
初秋の夏休み
初秋の夏休み その3
車で小布施から志賀高原を越えて草津に行くことにしました。
そこでであったのが秋色の白根山です。
此処はあまり説明など必要有りませんので写真を楽しんでください。

琵琶池の近くのもう一つの小さな池です。

真っ赤に染まったななかまどかな?綺麗でした。

紫色の小さな花名前は分かりません。

琵琶池案内板

白根山山頂近く その1

白根山山頂近く その2

白根山山頂近く その3

車で小布施から志賀高原を越えて草津に行くことにしました。
そこでであったのが秋色の白根山です。
此処はあまり説明など必要有りませんので写真を楽しんでください。

琵琶池の近くのもう一つの小さな池です。

真っ赤に染まったななかまどかな?綺麗でした。

紫色の小さな花名前は分かりません。

琵琶池案内板

白根山山頂近く その1

白根山山頂近く その2

白根山山頂近く その3

初秋の夏休み
初秋の夏休み その2
わさび田の次は「小布施」に行きました。
小布施は高井鴻山(小布施の生まれで豪商の育ち、時には絵描き)の家が中心になって、ここ40年ほど前から町つくりをして観光客を集めている場所です。
今回は2回目の訪問、前回は子供が小さい時(20数年前)に訪れ事があります。
高井鴻山家の門

この家が残っていたから小布施の町は観光地として再生できたといっても過言ではありません。
裏庭:立派な家は何処から見ても素晴しい。

中庭が落ち着きます。
今は鴻山の記念館になっています。

記念館の入口

写真が前後していますが最初の門から奥を見たところです。

なぜ高井鴻山は有名なのか、画凶老人と自信が言っている人は「葛飾北斎」ですがその北斎が80数歳の時にこの地を訪れ鴻山の家に厄介になって居たようです。
その為にこの地で幾つかの作品を残しています。
これも小布施の財産です。

小布施の北斎館がある庭の風景です。

北斎館に来た観光客の方々。

北斎館の入口
小布施に言ったならば是非見ておきたい美術館です。
はずかしながら前回は子供が小さく見ていませんでした。
兎に角北斎は自信が画凶老人と言うだけあって素晴しい才能をもった人です。
今回訪れてそのエネルギーに驚きました。
確か83歳で江戸から歩いてこの地を訪れ此処に多くの作品を残しているのです。

中に入ってご覧あれ。
裏通りです。此処も雰囲気が良く、整備されているのが良く分かります。

突如「福島正則」が登場です。
福島正則は今NHKの天・地・人の番組で、うっかり家康に方に着いて石田三成を撃ってしまい後悔している武将です。
今の広島から1619年に当時の徳川幕府に反感を買いこの地に領地替えになり着たようです。
人の運命は分からないものです。

岩松院と言うお寺が福島正則の菩提寺である。
此処の天井に葛飾北斎の天井画が書かれています。
此処も是非訪れて於きたいところです。

今日は此処までです。
わさび田の次は「小布施」に行きました。
小布施は高井鴻山(小布施の生まれで豪商の育ち、時には絵描き)の家が中心になって、ここ40年ほど前から町つくりをして観光客を集めている場所です。
今回は2回目の訪問、前回は子供が小さい時(20数年前)に訪れ事があります。
高井鴻山家の門

この家が残っていたから小布施の町は観光地として再生できたといっても過言ではありません。
裏庭:立派な家は何処から見ても素晴しい。

中庭が落ち着きます。
今は鴻山の記念館になっています。

記念館の入口

写真が前後していますが最初の門から奥を見たところです。

なぜ高井鴻山は有名なのか、画凶老人と自信が言っている人は「葛飾北斎」ですがその北斎が80数歳の時にこの地を訪れ鴻山の家に厄介になって居たようです。
その為にこの地で幾つかの作品を残しています。
これも小布施の財産です。

小布施の北斎館がある庭の風景です。

北斎館に来た観光客の方々。

北斎館の入口
小布施に言ったならば是非見ておきたい美術館です。
はずかしながら前回は子供が小さく見ていませんでした。
兎に角北斎は自信が画凶老人と言うだけあって素晴しい才能をもった人です。
今回訪れてそのエネルギーに驚きました。
確か83歳で江戸から歩いてこの地を訪れ此処に多くの作品を残しているのです。

中に入ってご覧あれ。
裏通りです。此処も雰囲気が良く、整備されているのが良く分かります。

突如「福島正則」が登場です。
福島正則は今NHKの天・地・人の番組で、うっかり家康に方に着いて石田三成を撃ってしまい後悔している武将です。
今の広島から1619年に当時の徳川幕府に反感を買いこの地に領地替えになり着たようです。
人の運命は分からないものです。

岩松院と言うお寺が福島正則の菩提寺である。
此処の天井に葛飾北斎の天井画が書かれています。
此処も是非訪れて於きたいところです。

今日は此処までです。
初秋の夏休み
初秋の夏休み
変なタイトルになっていますが、夏の間は時間が無くて、秋に信州と群馬に行って来ました。
故にこのようなタイトルになりました。
その前に自宅で栽培した朝顔の写真を見て下さい。

紫色が綺麗な朝顔です。何の関係が夏休みと有るのか分かりませんが。
中央高速フリーウエイを約200キロほど往くと安曇野のインターで降ります。
まずは穂高駅に朝の7時ごろ到着です。
そこで町の案内を手に入れ土地の豪農で古い民家(本陣等々力)を訪れました。

大きな長屋門が街道に沿って建っています。17・8間もある長さです。
長さがある種の美しさをかもし出します。
長屋門の入口

よく見ると左の柱に刀の傷跡が有りました。
農民一揆がありその時の傷だそうです。刀ではなく鉈のような物かも知れません。
それにしても立派です。この信州の地も武田の支配地であったようです。
室内の写真(欄間)

右と左の欄間の組子が違うのがナカナカ面白い。
座敷の奥から庭を見返した所

赤い毛氈は最近観光客用に敷いたものです。
それにしても日本の数奇屋建築の基本を良く表現しています。
軒先の低さ、水平に切取られた日本庭園。
座敷に座るとその特徴はさらにはっきりしてきます。

遠くの景色を消して、目の前にその視線が来るようになっています。
苔むした庭園を眺めると心静かな気持ちになります。
もう一度外に出て振り向くとながーい門ですが出窓が洒落たデザインをしているのが分かります。

必ず道と建物脇には生活用水が流れています。
その水音もまた風情を作ります。
写真はわさび田脇を流れる川と水車(大王わさび農場)

昔は何処の田舎にでもあった景色です。
水が綺麗です。
流れる小川

わさび田の景色黒い日よけのテントが面白い景色を作り出しています。

収穫した後のわさび田

ちょっと疲れたのでこの続きは後日にします。
次のページ
変なタイトルになっていますが、夏の間は時間が無くて、秋に信州と群馬に行って来ました。
故にこのようなタイトルになりました。
その前に自宅で栽培した朝顔の写真を見て下さい。

紫色が綺麗な朝顔です。何の関係が夏休みと有るのか分かりませんが。
中央高速フリーウエイを約200キロほど往くと安曇野のインターで降ります。
まずは穂高駅に朝の7時ごろ到着です。
そこで町の案内を手に入れ土地の豪農で古い民家(本陣等々力)を訪れました。

大きな長屋門が街道に沿って建っています。17・8間もある長さです。
長さがある種の美しさをかもし出します。
長屋門の入口

よく見ると左の柱に刀の傷跡が有りました。
農民一揆がありその時の傷だそうです。刀ではなく鉈のような物かも知れません。
それにしても立派です。この信州の地も武田の支配地であったようです。
室内の写真(欄間)

右と左の欄間の組子が違うのがナカナカ面白い。
座敷の奥から庭を見返した所

赤い毛氈は最近観光客用に敷いたものです。
それにしても日本の数奇屋建築の基本を良く表現しています。
軒先の低さ、水平に切取られた日本庭園。
座敷に座るとその特徴はさらにはっきりしてきます。

遠くの景色を消して、目の前にその視線が来るようになっています。
苔むした庭園を眺めると心静かな気持ちになります。
もう一度外に出て振り向くとながーい門ですが出窓が洒落たデザインをしているのが分かります。

必ず道と建物脇には生活用水が流れています。
その水音もまた風情を作ります。
写真はわさび田脇を流れる川と水車(大王わさび農場)

昔は何処の田舎にでもあった景色です。
水が綺麗です。
流れる小川

わさび田の景色黒い日よけのテントが面白い景色を作り出しています。

収穫した後のわさび田

ちょっと疲れたのでこの続きは後日にします。
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