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タイ旅行 その2

タイ旅行 その2
200年前の王宮0001

タイの王宮にある寺院
日本ならさしずめ仁王さんが、2体立っています。
ここもせいぜい200年ほど前の建物だそうです。
王宮の別荘0001

アユタヤへ行く途中のある王様の別荘。
衛兵が交代の時間だそうです。
タイでは18歳から徴兵制があり全ての若者は義務だそうです。
ここの衛兵はきっとエリートかな?
古都アユタヤの遺跡0001

古都アユタヤの仏教寺院遺跡。
隣の国ビルマ、今はミャンマーですがミャンマーに攻められ、殆ど壊され復元していません。
遺跡は何時見ても壊れているほうが、怒られられそうですが、哀愁があって見るものの心を揺さぶります。
古都アユタヤの遺跡夜景0001

同じく夜景をライトUPしています。
昼間より夜景のほうが、さらに焦点が絞られ見る人の心が揺さぶられます。
古都アユタヤの遺跡で像に乗る0001

生まれて初めて像の背中に乗せてもらいました。
乗り心地が良いとはいえませんが、なんとも優雅な気持ちになります。
王様も時々今でも乗るのかな?
超近代的な免税ショップ0001

こんな近代的な建物もいっぱいあります。
タイは地震と台風は無いそうです。
したがって高層ビルでも柱は日本の1/3程度の太さで、梁は殆どありません。
設計者はどんなデザインでも出来そうです。
日本と違うところは、近代的なかたわらで夜になると屋台の多いことそれは言葉に表せません。
焼き鳥や、カレーや、その他何か判別のつかない食べ物、屋台で食べると日本円にして150円位で食べられそうです。彼らに言わせると日本人は世界で一番お腹が弱い人種だそうです。
高速道路や、モノレールは日本のODAによって出来ているのか、構造やデザインはかなり日本的でした。事実日本企業の進出が相当数あるようでした。日本企業ばかりのビルもありました。
車は日本製が多く、又電気製品も日本製が多くありました。
観光客からタクシーや物売りは相当ぼっているようでしたが、前段のことを考えるとこれも少しはしょうがないか、などと思えてしまいます。
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  1. 2008/05/24(土) 15:54:05 |
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タイに行ってきました。

タイに行ってきました。その一
連休後の四日間を利用して初めてタイに行ってきました。
久しぶりの海外旅行で少し緊張感が薄れていました。バンコックの夜0001


結構イロイロな事がおきる物です。この写真はバンコックの中心街の広場にある、仏教の寺院の出先みたいなようです。若者でもお年寄りでも、石の歩道に座ってお祈りをして行きます。
こんな近代的な所に寺院を置き、それに向かってみんなお祈りしている姿は、ある意味で心の豊かを表しているような気がしました.
チャプラタ川からの眺め0001



チャプラタ川沿いにある寺院でWAT ARUM と言うらしいそんなに古くなくせいぜい200年位前のものらしい。
チャプラタ川沿いの寺院0001

この建物をしげしげ見ていたら、イスラムのモスクに繋がり、はたまたスペインバルセロナのガウディの教会の建物にも繋がる事を感じてしまいました。
前にトルコのイスタンブールに行った時に、聞いた歌が日本の民謡に繋がるのです。これは私の勝手な解釈です。
どうもこのように地球は大昔からズーット繋がっているようです。

  1. 2008/05/14(水) 10:28:30 |
  2. 環境の話
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ボブ ディランについて

ボブ ディランについて
2日の夜中(11時から1時)のTVでボブ ディランの特集をやっていました。
私もディランのレコード・CDを数枚は持っています。

でもこの放送は少し違った角度で撮影していました。
ただ単に音楽を放送しているわけではなく、ディランの生き方、考え方を捉えて放送していました。
若い頃のディランと今のディランが交互に登場していました。
若い頃のディランは、屈託無くフォークソングを歌い、その顔も無邪気に輝いていました。
今のディランは苦悩の皺を顔中に表していました。
その理由はなぜだか解りません。

音楽評論家でもない私がフォークソングを論じるつもりはありません。
ただ何かしら感動する物が、解らない英語の歌でも伝わってくるもです。
ディランの詩は人と話しながらでも、即興的に次から次ぎへ湧き出てくるようでした。
フォークソングとは人々の悲しみや、怒りや、諦めや、反抗を表現してしていたと思います。

昔旅していたときに、ポルトガルの旧市街から、聞こえてきたファドという民謡でも、同じような感動を覚えています。
また、スペインのアルハンブラ宮殿の見える丘の中腹にある、洞穴から流れてくるフラメンコにも、似たような思いを感じたことがありました。
歌という物は、世界中どこにいても、どんな人種でも、あるときは勇気を、あるときは慰めを、あるときは悲しみを伝えてくれます。
私のしている仕事、建築でも何かしら感動を与えることが出来たなら、それは設計者冥利に尽きることになるのでしょう。
将来でも残るから、すばらしい仕事ではありませんかと、言われることはよくあります。
そんな建築、住宅を残していけたらすばらしい仕事になるのだが?・・・・・・・

  1. 2008/05/04(日) 14:42:06 |
  2. 世間話
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