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食料自給の話

食料自給の話

日本の食糧自給率は何パーセントか?
今日本では39%だそうです。細かい数字などは問題ではなく、なぜこんなに低い数値になっているのか?もう少し突っ込んで考えて見る必要がありそうです。私に国の大臣を要請する人などは、誰もイナイのですが、もしさせてくれるならばすぐに、農林水産大臣になりたい。と常日頃考えています。
その理由として幾つか考えて見ました。

今までに大よそ25カ国程度旅して、その国を少しならず見たことがあります。これらの旅の理由は仕事としている、建築の設計に関して、その国の多くの情報と、成り立ちを見たかったからです。そうすることで建築の違いや、文化の違いが見えてくるからです。そのついでと言っては何ですが、その時に他の生活文化や、生活の仕方、考え方が気になって来るものです。そこで常にその国の人口や、国土の広さや、産業などなんとなく見ているだけで結構イロイロな部分が見えてきます。

25カ国の内、20カ国はヨーロッパを見ました。まだ、若かった時期です。今でもあるかどうか分かりませんが、当時はユーレイルパスなる名前で、列車の一等で3ヶ月間乗り放題というパスがありました。
(今、ネットで調べたところまだユーレールパスはありました。3ヶ月間で238.000円でした。確か当時は70.000円程度でした。)世界中列車があるところは、ぜひ皆さんもツアー旅行から離れて、一人で列車の旅をして見て下さい。全然違った物語が見えてくると思います。それからロンドンに行って気が付いたのですが、ツアー旅行とは、西洋人は危険な所に行く場合にのみ、ツアー旅行にするようです。これは通常列車があるような所は、彼らにとっては立派な文明のある所、という感覚があるようです。

話がトンでもない方向に行ってしまいした。そんな訳で一人旅を半年も続けていると、余計なことに興味が湧いて来るものです。当然食べ物は何を食べ、着るものはどんなもの着て、どんな所で寝て居るのか、居食住に関する事柄です。さらにその上で、どんな生活レベルであるかなどです。そこでその国の食料自給率もそれなりに気なってきます。ヨーロッパの国々は、第二次大戦後ほとんどの国が自給率を増やしてきました。

もう一つ面白い話で、永世中立国としてのスイスはとんでもない国です。ある時期になると、国のいたる所で、パンパンと音がするから、近くの人に聞いて見た所、あれは銃声との事でした。あの国は、国民皆兵です。全ての国民が銃を持って戦う練習をしている訳です。ここの所は、この平和ボケしている今の日本にとって、重要な問題を投げかけています。平和とは、平和に安住することではないのです。平和を皆で作ってこそ平和になるのです。今のスイスではどうか分かりませんが、当時、野菜や穀物など、自国で取れる時期は、自国の作物が高くても、自前の作物を買わねばならない決め事があるようでした。

食料自給率は、平和と深く関わりがあるのです。国境線を持たない日本は、こんな当たり前なことを考えずに済んでいるのです。平和と言うものは何時、どちららかの都合でクヅレルものか分かりません。第二次大戦後の食料難なんか、皆忘れて必要以上の大食いを、日本人はしているのではないでしょうか?グルメとか、食通とか、イロイロな言葉に惑わされていませんか?もう少し 一人一人が考える時期に来ているようです。それと大事なことは「食に付いて」もう少し学校できっちっと教える必要があります。

今、日本の農家は、農業では食べて行けないのです。なぜでしょう、皆さんが安いものだけ求めたりしているからではないでしょうか?スイスのように高くても、自国の産品が取れる内は、自国の物を食べるようにしなければ農業は成り立ちません。私は日本の農政に怒っている者の一人です。農民は土地を捨て町に出て、工場などで働き、いつの間にかサラリーマンになってしまったのです。これでは自給率などあった物ではありません。餃子問題しかり、小麦、トウモロコシしかり。この日本には捨てられた土地だらけです。田舎に行くと唯で貸してくれる土地がいっぱいあることを知っていますか?

何れにせよ、農業とは人にとって無くてはならないものです。農業に補助金を出し過ぎだとか、いう方もいますが、大切な割には生産性が低いのが農業です。確かドイツでは、サラリーマンの生活レベルに近づくように、補助金かどうか良く分かりませんが補助しているようです。農業に誇りを、そして生活がそこそこ出来るように、国の責任者は今現在の事でなく将来を見越して政策をして欲しいものです。
補助金を政治家の食い物にするのでなく、しっかりと自分たちの幸せの為に使わなくてはいけません。

私の仕事に関係のある、林業も又しかりです。数年前にある林業組合の方と知り合いになり、ちょうど山の杉の木を数えに行くところであったので、これ幸いと、好奇心から山に入り私の仕事で必要な杉の木を選んだ後、林業関係者に聞いて見ました。、杉の木は20数年たった木で幾らになるのですかと?答えはなんとたった2000円でした。20年たった杉で、柱が4本採れの他板材が数枚採れます。
なぜこんなに安くなってしまったか?これも又、我々を含めてどこの木材でも、知らず知らずの内に、安くしか買わなくなっていたのです。ここではこの件は長くなりますので、多くを話しませんが、どうか将来の日本の為にも、国産材を買って使いましょう。

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  1. 2008/03/30(日) 18:05:21 |
  2. 世間話
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中田英寿に関して

今日は中田英寿に関して書こうと考え、7割がた書いたところで突然、今まで書いた文章が消えてしまいました。なんと言うことだ!!
仕方がないので、もう一度気を取り直して書くことにしました。何を書いていたのか忘れてしまいました。

私は若者の部類には到底入りませんが、サッカーには結構うるさいのです。理由があるのです。私の生まれ育ったところが、中田英寿が高校でサッカーをしていた、韮崎市内であったからです。何を隠そう私は彼の高校の先輩であるからです。クールな彼にとって、私には何の関係のないことであると、彼は言うでしょう。そのことはさて置き、この高校がなぜサッカーを取り入れるようになったのか、これは結構面白い話です。

この高校のある場所は、山梨県の北部に位置しています。今でも過去でも変わりませんが、夏はそこそこ標高が高く涼しいが、冬はとにかく雪は殆ど降ることはないのだが、北にそびえる八ヶ岳連峰から吹いてくる北風に乗って、砂埃と一緒に寒さを抱いてやって来るのです。そんな校庭で冬場に出来るスポーツといえば常に走り回っていなければいけないスポーツです。50年以上前のある校長が、これでは普通のスポーツなど出来ないと考え、このこの高校の校技は、サッカーにしようと考えたようである。

そのような訳で校技がサッカーになり、必然的に我々すべての生徒は、冬場にはサッカーを楽しむ様になりました。これである程度このスポーツを、我々の年代にしては早くから、好きになれたという訳です。このような訳で、サッカーがプロスポーツとして認められる以前から、好きなスポーツになった訳です。

中田英寿は今頃、世界のどこを旅しているのでしょう。私も25歳の時にヨーロッパを半年間旅したことを思い出しました。建築とは何か、何が出来るのか、そんな思いで旅をしていました。
そのことはさて置き、頭脳明晰な彼はなぜ韮崎高校を選んだのでしょう。山梨県には彼の住んで居た甲府市内に、甲府一校という優秀な高校があるからです。その中で韮崎高校を選んだ理由を憶測すると、彼は自身の人生のズーット先を見ていたからでしょう。単に勉学をとるか?それともサッカーを通して何かを得るのか?彼は後者を選んだようです。

人生の中で先を見越す事は、簡単そうで難しいことです。まだ彼は人生を全うした訳ではありませんから、なんともいえませんが、キット大きな目標を達成できるでしょう。その理由として、サッカーを始めた頃から、目標を定め。プロになったことを頭に描き、イタリヤでプロとしてやって行くことを頭に描き、高校時代から誰もしていないイタリヤ語を、こっそりと習っていたと聞いています。このように目標を定めて、それに向えることの出来る人だけが、成し得ることが出来るからでしょうか?

この辺が凡人である私には、とてもかなわぬところだと思っています。もう一人、私の知っている方でこのような考え方が出来る人がいます。この方は、既に82歳になられたご老体ですが、先を読む名人といえるでしょう。現在東証一部上場の会社の名誉会長として、悠々自適な生活をしています。常に誰よりも早く先を見越し、人生を見越して来たからだと思えます。この方の話はさて置き、まだ、31歳の中田英寿が、どんな人生を過ごして行くのか楽しみにしています。




  1. 2008/03/26(水) 21:29:30 |
  2. 世間話
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環境に着いて考える

我々は普段何も考えずにこの地球上に生活しています。そんな当たり前のことを!!と言わないで少し読んでください。私の人生の中で鳥肌の立った2回の内に1回目の話です。当時十代最後の真夏の夜中でした。
2時頃ラジオを聴きいていたら力強く、しかしトツトツとした話声が聞こえてきました。この人は誰か、人に感動を与える事が出来る人は、そんなに沢山居るとは考えられません。
人はつまらぬことで鳥肌が立つ事があるものだと思ってもかまいません。

この方は当時、横浜国大で植物学の教授をしていられた宮脇昭教授でした。建築家で有名な宮脇さんは宮脇檀と言う方が居ましたが、一字違いの方でした。なんとなく間違えてしまいそうな名前でした。
その宮脇昭教授と環境がどのように関係があったのか、今ではインターネットで名前を引いて下さると、その内容はすぐに出てまいります。地球上の砂漠などに木を植えるボランテァを、現在相当のお年になられたにもかかわらずされています。ここまで来るとその繋がりは、理解できるようになったでしょうか。
今では有名になった言葉でそのときに言っておられた内容で、大切な言葉で「鎮守の森」の大切さでした。

鎮守の森の構造
気候や土壌など自然環境の差で、その土地に適した木に違いがある。そしてその土地本来の木が作る森では、木は大きく2種類に分かれる。根が真っ直ぐ深く伸びる直根性で、大きく高く伸び、長く生きる木が「主役の木」。そうした主役の高木の回りに育つのが、中木や低木などの「脇役の木」である。自然の森には、50種類以上の木が生えており、木はお互いに競争しながら共に育ち多様な自然を作っている。鎮守の森とは、主役、脇役の木がきちんと層をなしたバランスの良い森なのだ。


ここから先の専門的話は、先生の書かれた書物などから調べてください。
で、なぜ植物に関する問題で鳥肌など立つのか?これはきっと先生のその時の話し方でした。この地球上の植物や植生、人間、多くの動植物万物が、自然のサイクルの中でしか、生きて行けないという力強い話し方でした。人は信念を貫く意志があると、心を貫く力となっていくと思うようにこの時からなりました。
この話の中で先生が訴えられていた内容は、人間だけがこの地球上で唯一無二のように生きることは出来ない!植物と一緒でイロイロな種類が集まって生息しているということでした。これは地球上息とし生ける、すべての生物が互いに影響し合って生きていると言う事でした。今では当たり前の論理のように考えられるが、当時成長期にあったこの日本で、このような論理を受け入れる土壌になかったようだ。事実その二・三年後に実際にお話を聞く機会が偶然にありました。このとき言っておられたことは、企業でも何でもよいから、私に何か提案をさせて欲しいといっていた事を思い出します。

人は20年間同じ事を発信し続ければ、必ず実現できるようになるから言いつづけることが大切である。と言ったのは吉阪隆正先生でした。吉阪先生はル・コルビジェの弟子で、ル・コルビジェが最初のプロジェクトを受け入れられたのは言い出してから20年後であった。と述べていました。環境とは関係のない話になってしまいました。人を動かす力とはそのような思いを感じた時なのだとつくづく思いました。
機会を見て、又、この続きをいたします。
  1. 2008/03/19(水) 19:39:19 |
  2. 環境の話
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住み心地の良い家の依頼法

 住み心地とはなんだろうか?

1.人間にとって物理的に心地よい
2.精神的に心地よい
大きくはこの二つに分けることができます。

1. に着いて、当然暑さ寒さに対して、ある範囲でコントロールされている住宅。
雨、風を防ぎながら快適に居られること。
家の中の移動が快適であること。
浴室やその他諸室が適当な広さがあること。カビなどが生えない事。
地震に強く倒壊しないこと。
まだまだイロイロ考えられます。

2. に着いて、家に帰りたいと思わせる家にすること。
家に帰ったときに安心できること。この家にずっと住みたいと思えること。
他人の家にはない特別な空間があること。

こんな風に書いてみると
1. に着いては具体的に解決できる方法は、いくらでも考えられるけれど、
2. に着いては具体的な解決方法は各住宅の住み手によるところが多くあります。

設計の以来をして下さる時には、できるだけこの辺を整理して、設計者にぶつけて下さるときっと
思いの外、希望どうりの住宅が出来ると思います。

このカテゴリは、時間を見つけながら疑問分かりやすく書いて行きます。
  1. 2008/03/17(月) 13:54:16 |
  2. 住宅と建築の話
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立川談志の落語

立川談志の落語を何回か寄席で聞いたことはありました。

昨日、BShiで10時間かけて立川談志を取り上げいていました。全て見たわけではありませんが、トータル5時間ほど見ました。この中で幾つか感じたことを取り上げると、一つは落語に対する思いのすごさ、二つ目は芸人とは何か、自分はどう生きるのかなどに対しての考え方でした。

昔のNHKの番組で、ある老女で画家である方が、若い方に絵を教えているところが出ていました。
その時に、その画家は若い方に書いている絵を見て、すぐに言った言葉は「あなた、何に感動してこの絵を描いているんですか?」この言葉が、今でもさっき言われたように聞こえてくるのです。このことが昨日の立川談志と重なってくるのです。

談志のすごさは落語家として、全ての日常に感動し、全ての思いをぶつけていることです。こんなことを普通の人が続けていたら気が狂うのでないか?と余計なことを考えてしまいます。どこに居ても話している自分と、聞いている自分が居て、その双方がキャッチボールをして常に自分を問うていました。
こんな姿勢が、飛びぬけた芸人や芸術家には、(建築家として仕事をしている自分も含めて)必要な事を感じながらTVを見ていました。

「ああ」自分はここまでいくにはまだまだ時間と修行が足りないか?と考えつつ眠りについてしまいました。
  1. 2008/03/10(月) 10:17:51 |
  2. 環境の話
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