無農薬と木村秋則氏と宮脇昭教授
無農薬と木村秋則氏と宮脇昭教授
先ほど、今年初めて一冊の本を読み終えての感想。
その本は奇跡のリンゴと言う新刊本。
青森の岩木山の麓で、無農薬のリンゴの栽培に成功した方を書いた本です。
無農薬のリンゴを作ろうと決めて、9年の歳月を費やしてやっと出来たリンゴの話です。
内容は皆さんがこの本を読んで頂くこと事にして、私はこの方と宮脇教授(以前に書いたコラム)
との繋がりを考えて見ました。
学問的に説明することなど、この私には到底出来ない作業です。
もっと分かりやすく、その繋がりを考えて見る事しか出来ません。
ではその繋がりとは何でしょうか?
この二人といっては失礼ですが、自然への大きな畏敬の念があるように思います。
それは、自然と人間は地球の中で共に生きている。簡単に表現しては失礼でしょうが、そこが見えた御二人ではないでしょうか。
宮脇教授から聞いたことがあるのですが、八甲田山の山中の土の中の微生物は、1㎡の中に3万とかちょっと調べましたがうろ覚えで、正確に数を思い出せませんが、皇居の周辺の松林の中は数千であったと記憶しています。くしくも、なぜか同じ青森の山の微生物です。
この様に人間にとって環境が綺麗で、良いと思われている様な場所でも、とても少ない微生物しか生きていません。
一見綺麗に見える皇居周辺ではこの様にとても少ないのです。
結局の所、人間にとって都合の良いように環境を変えてしまうのです。
微生物がいないと言う事は、ハエや蚊や蛾や蝶が、居なくなる事です。
木村秋則氏のリンゴ畑もどうやって無農薬にしたかと言うと、紆余曲折の上で、雑草と共に育てるという、この自然の摂理に学んだ結論でした。
無農薬リンゴの栽培が旨く行かず、死のうと思って山に入って見たその時に気がついたと書いてありました。
一本のどんぐりの木が大きく生えていられるのは、その下の下草と共生しながら生きていたことが、重要な役割をしてることを発見したと書いていました。そしてそこの土は柔らかく温度が高かったと綴られていました。
宮脇氏の中にもこの下草や共生することの大切さが言われていました。
人間社会でも生き年生ける者全てが、共に生きて往く事が重要である事を述べていられました。
今日は寝る前なので此の位にして、
又いつかこの繋がりについてもう少しまとまった内容を書いてみたいと思います。
先ほど、今年初めて一冊の本を読み終えての感想。
その本は奇跡のリンゴと言う新刊本。
青森の岩木山の麓で、無農薬のリンゴの栽培に成功した方を書いた本です。
無農薬のリンゴを作ろうと決めて、9年の歳月を費やしてやっと出来たリンゴの話です。
内容は皆さんがこの本を読んで頂くこと事にして、私はこの方と宮脇教授(以前に書いたコラム)
との繋がりを考えて見ました。
学問的に説明することなど、この私には到底出来ない作業です。
もっと分かりやすく、その繋がりを考えて見る事しか出来ません。
ではその繋がりとは何でしょうか?
この二人といっては失礼ですが、自然への大きな畏敬の念があるように思います。
それは、自然と人間は地球の中で共に生きている。簡単に表現しては失礼でしょうが、そこが見えた御二人ではないでしょうか。
宮脇教授から聞いたことがあるのですが、八甲田山の山中の土の中の微生物は、1㎡の中に3万とかちょっと調べましたがうろ覚えで、正確に数を思い出せませんが、皇居の周辺の松林の中は数千であったと記憶しています。くしくも、なぜか同じ青森の山の微生物です。
この様に人間にとって環境が綺麗で、良いと思われている様な場所でも、とても少ない微生物しか生きていません。
一見綺麗に見える皇居周辺ではこの様にとても少ないのです。
結局の所、人間にとって都合の良いように環境を変えてしまうのです。
微生物がいないと言う事は、ハエや蚊や蛾や蝶が、居なくなる事です。
木村秋則氏のリンゴ畑もどうやって無農薬にしたかと言うと、紆余曲折の上で、雑草と共に育てるという、この自然の摂理に学んだ結論でした。
無農薬リンゴの栽培が旨く行かず、死のうと思って山に入って見たその時に気がついたと書いてありました。
一本のどんぐりの木が大きく生えていられるのは、その下の下草と共生しながら生きていたことが、重要な役割をしてることを発見したと書いていました。そしてそこの土は柔らかく温度が高かったと綴られていました。
宮脇氏の中にもこの下草や共生することの大切さが言われていました。
人間社会でも生き年生ける者全てが、共に生きて往く事が重要である事を述べていられました。
今日は寝る前なので此の位にして、
又いつかこの繋がりについてもう少しまとまった内容を書いてみたいと思います。
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タイに行ってきました。
タイに行ってきました。その一
連休後の四日間を利用して初めてタイに行ってきました。
久しぶりの海外旅行で少し緊張感が薄れていました。
結構イロイロな事がおきる物です。この写真はバンコックの中心街の広場にある、仏教の寺院の出先みたいなようです。若者でもお年寄りでも、石の歩道に座ってお祈りをして行きます。
こんな近代的な所に寺院を置き、それに向かってみんなお祈りしている姿は、ある意味で心の豊かを表しているような気がしました.

チャプラタ川沿いにある寺院でWAT ARUM と言うらしいそんなに古くなくせいぜい200年位前のものらしい。

この建物をしげしげ見ていたら、イスラムのモスクに繋がり、はたまたスペインバルセロナのガウディの教会の建物にも繋がる事を感じてしまいました。
前にトルコのイスタンブールに行った時に、聞いた歌が日本の民謡に繋がるのです。これは私の勝手な解釈です。
どうもこのように地球は大昔からズーット繋がっているようです。
連休後の四日間を利用して初めてタイに行ってきました。
久しぶりの海外旅行で少し緊張感が薄れていました。

結構イロイロな事がおきる物です。この写真はバンコックの中心街の広場にある、仏教の寺院の出先みたいなようです。若者でもお年寄りでも、石の歩道に座ってお祈りをして行きます。
こんな近代的な所に寺院を置き、それに向かってみんなお祈りしている姿は、ある意味で心の豊かを表しているような気がしました.

チャプラタ川沿いにある寺院でWAT ARUM と言うらしいそんなに古くなくせいぜい200年位前のものらしい。

この建物をしげしげ見ていたら、イスラムのモスクに繋がり、はたまたスペインバルセロナのガウディの教会の建物にも繋がる事を感じてしまいました。
前にトルコのイスタンブールに行った時に、聞いた歌が日本の民謡に繋がるのです。これは私の勝手な解釈です。
どうもこのように地球は大昔からズーット繋がっているようです。
環境に着いて考える
我々は普段何も考えずにこの地球上に生活しています。そんな当たり前のことを!!と言わないで少し読んでください。私の人生の中で鳥肌の立った2回の内に1回目の話です。当時十代最後の真夏の夜中でした。
2時頃ラジオを聴きいていたら力強く、しかしトツトツとした話声が聞こえてきました。この人は誰か、人に感動を与える事が出来る人は、そんなに沢山居るとは考えられません。
人はつまらぬことで鳥肌が立つ事があるものだと思ってもかまいません。
この方は当時、横浜国大で植物学の教授をしていられた宮脇昭教授でした。建築家で有名な宮脇さんは宮脇檀と言う方が居ましたが、一字違いの方でした。なんとなく間違えてしまいそうな名前でした。
その宮脇昭教授と環境がどのように関係があったのか、今ではインターネットで名前を引いて下さると、その内容はすぐに出てまいります。地球上の砂漠などに木を植えるボランテァを、現在相当のお年になられたにもかかわらずされています。ここまで来るとその繋がりは、理解できるようになったでしょうか。
今では有名になった言葉でそのときに言っておられた内容で、大切な言葉で「鎮守の森」の大切さでした。
鎮守の森の構造
気候や土壌など自然環境の差で、その土地に適した木に違いがある。そしてその土地本来の木が作る森では、木は大きく2種類に分かれる。根が真っ直ぐ深く伸びる直根性で、大きく高く伸び、長く生きる木が「主役の木」。そうした主役の高木の回りに育つのが、中木や低木などの「脇役の木」である。自然の森には、50種類以上の木が生えており、木はお互いに競争しながら共に育ち多様な自然を作っている。鎮守の森とは、主役、脇役の木がきちんと層をなしたバランスの良い森なのだ。
ここから先の専門的話は、先生の書かれた書物などから調べてください。
で、なぜ植物に関する問題で鳥肌など立つのか?これはきっと先生のその時の話し方でした。この地球上の植物や植生、人間、多くの動植物万物が、自然のサイクルの中でしか、生きて行けないという力強い話し方でした。人は信念を貫く意志があると、心を貫く力となっていくと思うようにこの時からなりました。
この話の中で先生が訴えられていた内容は、人間だけがこの地球上で唯一無二のように生きることは出来ない!植物と一緒でイロイロな種類が集まって生息しているということでした。これは地球上息とし生ける、すべての生物が互いに影響し合って生きていると言う事でした。今では当たり前の論理のように考えられるが、当時成長期にあったこの日本で、このような論理を受け入れる土壌になかったようだ。事実その二・三年後に実際にお話を聞く機会が偶然にありました。このとき言っておられたことは、企業でも何でもよいから、私に何か提案をさせて欲しいといっていた事を思い出します。
人は20年間同じ事を発信し続ければ、必ず実現できるようになるから言いつづけることが大切である。と言ったのは吉阪隆正先生でした。吉阪先生はル・コルビジェの弟子で、ル・コルビジェが最初のプロジェクトを受け入れられたのは言い出してから20年後であった。と述べていました。環境とは関係のない話になってしまいました。人を動かす力とはそのような思いを感じた時なのだとつくづく思いました。
機会を見て、又、この続きをいたします。
2時頃ラジオを聴きいていたら力強く、しかしトツトツとした話声が聞こえてきました。この人は誰か、人に感動を与える事が出来る人は、そんなに沢山居るとは考えられません。
人はつまらぬことで鳥肌が立つ事があるものだと思ってもかまいません。
この方は当時、横浜国大で植物学の教授をしていられた宮脇昭教授でした。建築家で有名な宮脇さんは宮脇檀と言う方が居ましたが、一字違いの方でした。なんとなく間違えてしまいそうな名前でした。
その宮脇昭教授と環境がどのように関係があったのか、今ではインターネットで名前を引いて下さると、その内容はすぐに出てまいります。地球上の砂漠などに木を植えるボランテァを、現在相当のお年になられたにもかかわらずされています。ここまで来るとその繋がりは、理解できるようになったでしょうか。
今では有名になった言葉でそのときに言っておられた内容で、大切な言葉で「鎮守の森」の大切さでした。
鎮守の森の構造
気候や土壌など自然環境の差で、その土地に適した木に違いがある。そしてその土地本来の木が作る森では、木は大きく2種類に分かれる。根が真っ直ぐ深く伸びる直根性で、大きく高く伸び、長く生きる木が「主役の木」。そうした主役の高木の回りに育つのが、中木や低木などの「脇役の木」である。自然の森には、50種類以上の木が生えており、木はお互いに競争しながら共に育ち多様な自然を作っている。鎮守の森とは、主役、脇役の木がきちんと層をなしたバランスの良い森なのだ。
ここから先の専門的話は、先生の書かれた書物などから調べてください。
で、なぜ植物に関する問題で鳥肌など立つのか?これはきっと先生のその時の話し方でした。この地球上の植物や植生、人間、多くの動植物万物が、自然のサイクルの中でしか、生きて行けないという力強い話し方でした。人は信念を貫く意志があると、心を貫く力となっていくと思うようにこの時からなりました。
この話の中で先生が訴えられていた内容は、人間だけがこの地球上で唯一無二のように生きることは出来ない!植物と一緒でイロイロな種類が集まって生息しているということでした。これは地球上息とし生ける、すべての生物が互いに影響し合って生きていると言う事でした。今では当たり前の論理のように考えられるが、当時成長期にあったこの日本で、このような論理を受け入れる土壌になかったようだ。事実その二・三年後に実際にお話を聞く機会が偶然にありました。このとき言っておられたことは、企業でも何でもよいから、私に何か提案をさせて欲しいといっていた事を思い出します。
人は20年間同じ事を発信し続ければ、必ず実現できるようになるから言いつづけることが大切である。と言ったのは吉阪隆正先生でした。吉阪先生はル・コルビジェの弟子で、ル・コルビジェが最初のプロジェクトを受け入れられたのは言い出してから20年後であった。と述べていました。環境とは関係のない話になってしまいました。人を動かす力とはそのような思いを感じた時なのだとつくづく思いました。
機会を見て、又、この続きをいたします。
立川談志の落語
立川談志の落語を何回か寄席で聞いたことはありました。
昨日、BShiで10時間かけて立川談志を取り上げいていました。全て見たわけではありませんが、トータル5時間ほど見ました。この中で幾つか感じたことを取り上げると、一つは落語に対する思いのすごさ、二つ目は芸人とは何か、自分はどう生きるのかなどに対しての考え方でした。
昔のNHKの番組で、ある老女で画家である方が、若い方に絵を教えているところが出ていました。
その時に、その画家は若い方に書いている絵を見て、すぐに言った言葉は「あなた、何に感動してこの絵を描いているんですか?」この言葉が、今でもさっき言われたように聞こえてくるのです。このことが昨日の立川談志と重なってくるのです。
談志のすごさは落語家として、全ての日常に感動し、全ての思いをぶつけていることです。こんなことを普通の人が続けていたら気が狂うのでないか?と余計なことを考えてしまいます。どこに居ても話している自分と、聞いている自分が居て、その双方がキャッチボールをして常に自分を問うていました。
こんな姿勢が、飛びぬけた芸人や芸術家には、(建築家として仕事をしている自分も含めて)必要な事を感じながらTVを見ていました。
「ああ」自分はここまでいくにはまだまだ時間と修行が足りないか?と考えつつ眠りについてしまいました。
昨日、BShiで10時間かけて立川談志を取り上げいていました。全て見たわけではありませんが、トータル5時間ほど見ました。この中で幾つか感じたことを取り上げると、一つは落語に対する思いのすごさ、二つ目は芸人とは何か、自分はどう生きるのかなどに対しての考え方でした。
昔のNHKの番組で、ある老女で画家である方が、若い方に絵を教えているところが出ていました。
その時に、その画家は若い方に書いている絵を見て、すぐに言った言葉は「あなた、何に感動してこの絵を描いているんですか?」この言葉が、今でもさっき言われたように聞こえてくるのです。このことが昨日の立川談志と重なってくるのです。
談志のすごさは落語家として、全ての日常に感動し、全ての思いをぶつけていることです。こんなことを普通の人が続けていたら気が狂うのでないか?と余計なことを考えてしまいます。どこに居ても話している自分と、聞いている自分が居て、その双方がキャッチボールをして常に自分を問うていました。
こんな姿勢が、飛びぬけた芸人や芸術家には、(建築家として仕事をしている自分も含めて)必要な事を感じながらTVを見ていました。
「ああ」自分はここまでいくにはまだまだ時間と修行が足りないか?と考えつつ眠りについてしまいました。
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Author:堀内秀人建築設計事務所
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